追憶ブログ

こんなことがあったと過去を振り返ったり、思うことを書いていこうと思います。多少なりとも暇つぶしくらいになれば幸いです。

宇多田ヒカルさんの「夕凪」を聴いて

すばらしい曲に出逢った。
2018年6月27日に発売されたとあるアルバムの中にその曲はあります。

アルバムを聴き通すと、サウンドは大人しいようで迫力があり、歌詞の熱さというか想いの強さ?のようなものをひしひしと感じます。それは宇多田ヒカルさんの『初恋』です。

その中でもひときわ衝撃を受けたのが「夕凪」という曲です。

実家に録画を頼んでおいた2つのTV番組を観て確信しました。
この曲はすごい力があると。
この曲を聴くと私は、必ず泣きそうな気持ちになってしまいます。
実際に少し泣いたこともありました。

この曲について感じたことを少しお話したいと思います。

まずは歌詞


”鏡のような海に
小舟が傷を残す”


これを聴きまず私はウユニ湖を想像しました。
実際の様子ではなく、あくまで想像です。
ウユニ湖は海ではないですし、車も走るので小舟は少し考えづらいですね。
表現としてウユニ湖の”ようなもの”が正しかったですね。
まとめると
それは水面が鏡となりどこまでも空の状態。
そしてそこに”小舟が傷を残す”ことによってどこまでも空の状態ではなくなることを意味しているのではないでしょうか。
答えは次の歌詞にあります。


”全てが例外なく
必ず必ず
いつかは終わります
これからも変わらず”


上記の鏡のような海にも終わりがくると言えるような歌詞です。
”全てが” ”必ず” ”変わらず”
これらの言葉から”終わること”に強い重点が置かれていることがわかります。
次の展開はどのようになっていくでしょうか。


”こんなに穏やかな時間を
あなたと過ごすのは
何年振りでしょうか”


登場人物がいるようです。
「あなた」と「あなたに対する自分」ですね。
何年振りということは何年かはそのような時間は得られなかったということ。
これまでのことをふまえると
「何年か前に穏やかな時間を得られない状態が始まり、そして終わって穏やかな時間がまた始まる」
なんてことを考えました。

次に行きます。


”落とさぬように抱いた
小さくなったあなたの体”


ここは難解でした。
「あなた」はなぜ小さくなったのか。
「あなた」はなぜ落としてはいけないのか。
そもそも「あなた」は前の歌詞と同一人物なのか。
といったような疑問が浮かんだからです。
ですので、ずっと触れてきた「終わり」
と再び関連付けて考えました。
終わり。人の終わり。
それは「死」
なぜ小さくなったのか。それは老いたから
なぜ落としてはいけないのか。それは粉々になってしまうから
このことから「骨壺」を想像しました。

1つ前の歌詞と合わせて考えると
「あなた」は同一人物であり、骨になった「あなた」とともに穏やかな時間を過ごしている。
といえます。

ここで考えてしまうのは宇多田ヒカルさんとお母さんとの関係
この曲は完成までに3年以上の年月がかけられています。
3年前といえば『Fantôme』の制作時期とかぶります。
『Fantôme』は母である藤圭子さんに捧げる作品であります。
そしてこの曲の仮タイトルは「Ghost」でした。
『Fantôme』の制作時期の近くで生まれた「Ghost」はまさしくお母さんのことではないでしょうか。
ゆえに、「夕凪」で語られるあなたと自分は宇多田ヒカルさん自身と母親ととることができます。
また、この歌詞の部分は通常のボーカルに加え宇多田ヒカルさん自身が囁くようなコーラスをしていたり、近くで吐息を感じるような表現がされています。これは「Ghost」と何か関係があるのでしょうか。

まとめると
穏やかな時間を過ごすことができなかったが、死と向き合ったことで心境が変化した。そしてそれを3年かけて曲にすることができたのではないでしょうか。


次の歌詞に行きます。


”真に分け隔てなく
誰しもが
変わらぬ法則によります
急がずとも必ず”

”全てが例外なく
図らず図らず
今にも終わります
波が反っては消える”


波が反っては消えるように
変わらぬ法則のように
図らず今にも終わりがくる
非常に強いメッセージがあります。
当たり前にもとれることをいざ言葉にすると、これほどまでに強い力があるのだということに気付かされます。

ここまでで曲は3分21秒です。
そしてここから日本語とも英語ともとれないような
言葉で4分10秒までの約50秒間歌い続けています。
この部分宇多田ヒカルさん自身は「せいやー」に聞こえると言っていたり、曲を聴いた人は「ぜいやー」と表現していることが多いです。

この部分が本当に美しくて大好きです。
希望にも絶望にも感じる。
不安であるようで安心できる。
アンビバレントな感情になります。
そして、ストリングスが入ると必ず泣きそうになります。
それは言葉にならない宇多田ヒカルさんの祈りを聴くようです。
自分に言い聞かすようにも聞こえます。

そして最後の歌詞


”全てが例外なく
必ず必ず
何処かへと向かいます
これまでと変わらず”


全てが例外なく必ず終わり
そしてまた何処かへと向かい始まる。
これまでと変わらず
最後にはまた始まることを強く歌っているかと思います。

以上が歌詞について考えたことです。

次はメロディーについて

ほとんど途切れることないメロディーが印象によく残ります。
ピアノとベースとドラムの音がそうでしょうか。
それは歌詞によく出てきた”変わらぬ” ”変わらず”といった部分を表現しているのでしょうか。
しかし、しっかりと途絶えることで同時に”終わり”も表現しているのかもしれません。

序盤からよく聞こえる穏やかなストリングスにはノスタルジーを感じます。どこか懐かしく、どこか温かい。
それでいてぜいやーの時の明るいストリングスは未来を見ているようです。

曲全体を通すとまたしてもこのようにアンビバレントな感覚を抱きます。
「強さ」と「弱さ」
「大胆」と「小心」
「希望」と「絶望」
「安心」と「不安」
「過去」と「未来」
「生」と「死」
そして
「始まり」と「終わり」

1曲の中で多くの両面性を表現していると感じ、それは容易なことではないだろうことから私は「すごい」と感じたわけです。

夕凪には以下の意味があります。

「海岸地方で、夕方の海風から陸風に交替する時に、無風状態になること」

これは両面を真ん中の状態から歌うこの曲にぴったりなタイトルであると思っています。
終わりは始まりを肯定した上で成り立ちます。
逆もまた然り。

太陽から月を繋ぐように
生まれてから死ぬように
始まってから終わるように

わかっているようで完全には理解できていないことがあると思います。
その大切なことを理解に導いてくれる曲だと思います。
多くの人に届いてほしいなと願いそして、素晴らしい曲に出逢えたことに感謝します。

問い2

「幸せとは何か」

 

今回はこれ。

こっちのほうが考えたことある人多いのかも。

そんなのタイミングによって変わるだろうと自分でも突っ込んでしまいそうだ。

でも、そのタイミングごとに明確に言えたらきっとどれも間違いではないだろう。

むしろ、それだけ幸せを語れることが幸せなのかもしれない。

 

それはさておき、この問いにあなたはなんと答えるでしょうか。

私は

 

「自分の理解者がいること」

 

としている。

 はっきり言って不可能だと考えている。

他人のことをすべて理解できるのは自身のクローンくらいだろうし、

出来たら逆に怖い。

 

じゃあなんでこんなこと言ってるのか。

それはこの回答が結果ではなく、プロセスを重要視しているからである。

そうするとさっきの回答には誤りがある。

正しくは

 

「自分を理解しようとしてくれる者がいること」

 

といえるだろう。

 

そもそもなんでこんな話をしだしたか言ってなかった気がする。

理由は3つ。

1.過去友達に「なんでお前は他人にそんなに興味があるの?」

と言われたことが頭によぎったから。

2.最近読んだ本が幸せの定義について触れていたから。

3.1と2を踏まえ、整理したくなった。

 

1から考えるに私は関わった多くの人のことが気になり、その人についての情報を集めることを止めようとしない。それはきっと私の考える幸せの定義がそうさせている。

つまり

幸せとは自分を理解しようとしてくれる者がいること→幸せがそうだと認識しているので他人にも同等のことをしようとする→相手を理解したくなる

 

文にして振り返ってみると自らの幸せを他人に押し付けていて、

少々傲慢な気がするが...

 

でも、それでも相手を理解することはやめたくないなんて考えるのです。

自分にもそんな人がいたらなぁ。

家族や友人がそういう存在じゃないって言ってるわけじゃないんだけど、

そういう奴いるのかって言われたら即答できない。

 

ただ、そういう相手を見つけるのは受け身じゃ難しいとも感じた。

だから理解してもらえるような人間になるには、まずその人を理解しようとも思ったんだ。愛し愛される関係のように。

 

 現状の考える幸せはこんな感じ。

数年後、十数年後、数十年後の自分はなんて答えるだろうか。

あなたの考える幸せがあなたを幸せにしますように

なんて誰かに向けて祈りながら今日も生きていく。

 

追記

振り返ってみると、家族や友人に恵まれた時点で幸せだと思う。

それでも更に味を占めたくなる人間はやっぱり愚かなのかなぁ。。。

問い1

「人生とは何か」

 

こんな問いの答えを探求した人は多いのではないだろうか。

今日Siriに「人生とは何か」を聞いてみた。

 

そしたらこう言ってみせた。

 

「このような疑問について考えることです」

 

特に考えもせず”深い”と思った自分はまだまだだな、とか思った。

でも、納得せずにはいられなかった。

 

この感覚はデカルトが言った「我思う、ゆえに我あり

という言葉と出会った時と同等のモノであった。

 

半世紀も生きてないのに人生語るとか何考えてんだ

とか思うけど、でもどんな時でも探求する意味のある問いだと思った。

人生を迷わないために。

 

あなたは何と答えるでしょうか。

私は

 

「生まれてきた理由を見つけること」

 

と考えている。

なんか、どこの誰でも言いそうな平凡な答えだ。

現状はこんなことしか考えられない。ベストアンサーを見つけたいからもっとさまざまな経験が必要だな...

 

あなたが考える答えは将来のベストアンサーに導くでしょうか。

生まれたわけを言えた時にきっと今とは違う景色がみれると期待し、

今日もそんなことを少し考えながら生きていく。

 

経験がモノヲイウ人生

久々にアプリのアイコンを見て思い出したことがあるので書きます。

 

その日私は友達とある場所に向かうべくバスに乗りました。バスに揺られて見る景色は好きです。車よりも高く、そして乗っている人と同じ景色を共有する気持ちよさがあるからです。そんなこと言ってもバスに乗るのは多くないですけどね。

 

そうです、私はバスに乗るのはほぼ初めてくらいでした。当然乗れば目的地には着きます。そこで待つのがそう、料金払いです。もう一度いいます、私はバスに乗るのはほぼ初めてくらいです。

 

ぞろぞろと乗客が降りるのと同時に前に進み、友達も払い終わり後を追うように機械にお金を入れました。その時は千円札しかなく、千円札を入れてやりました。そしたらびっくり、ジャラジャラと小銭が出てくるではありませんか。

 

そこで私は思いました。

 

「何が起きた…」

「まさか、た…足りないのか!」

 

この時点で冷静に考えれば意味不明です。

そこで私は出てきた小銭を近くの投入口にほぼプチパニックの状態で入れました。これでいいだろう、そう思っていると絶望的な音が私の耳に届きました。

 

「ジャラジャラジャラジャラ」

 

え?

耳を疑いました。

そうです、崩した千円札から得た硬貨をさらに崩すという荒技に出たのです。な、何が起きたんだ……

( ゚д゚)ハッ!

となって、少し怒った運転手さんが覚めた口調で、そこは両替口ですよ!と言った。その後友達が様子を見に来て、無事払い終わり。その日は一日中笑われました。

 

この世界は経験がモノを言う世界です。経験豊富な男性はモテるだろうし、カッコイイです。私もそんな男になれたら。

とりあえずバスの乗り方は覚えました。ふぅ。

これで一歩男前に前進だ。

世界の中心でうわぁぁ!と叫んだ男

1ヶ月ほど前だったろうか…

皆さんは夢を見ますか?

それは時として楽園へ誘い、時として地獄に落とす。

そんな中で人に追いかけられたり、誰かにつけられているような嫌な夢を見た経験がある人は少なからずいると思います。私は本当に時々見る夢があり、とある街で集団で逃げる夢を見ます。相手は殺人鬼。もう何がなんだかわかりません。

そこで私は誰かに追われる系のNew versionをみました。

 

パソコンの前で課題をしていた私がいます。ずっとやっているとそれなりに疲れも来て、ひと眠りしてからやろうかと思ったんです。

座って左90度にパソコンがあり、正面は窓があります。そこから外まではなかなかの段差があるのですが、長イスがありそこを踏み台にして外に出たり中に入ることも可能です。

 

眠りについた頃、誰かの足音がして薄目で見ると正面の窓に誰かがいるのです。私の部屋はアパートの1番奥にあり、こんなとこに来るのは私が帰ってきて自転車を止めるくらいなので、明らかに人が来るのはおかしいのです。そしてそいつはしばらくそこで留まったあとに引き返していきました。一体何だっのか?これが1番最初の夢です。

 

同じくしてまたひと眠りしてから作業を再開しようとし、眠りに落ちたのです。するとしばらく経って、夢の世界へ。しかし、私自身夢だとまだ気づいていませんでした。ただ夢を見ている状態。そうしたら、また誰かが来て窓の前に止まったのです。窓は真ん中にも枠があり、上下でガラスの材質が異なるタイプ。上部は透明だが下部は半透明のタイプなので、段差がある以上顔は確認できない…「またか…」と思いつつ薄目で見ていると今度はダンダンダン!と窓を叩き始めたのです。さすがに怖くなってビクビクしているとそれきり引き返していきました。これが2度目の夢。

 

そして次の夢。そんな夢を見ていながらも次に見るのは怖いなぁ…なんて微塵も考えてないなかったのでやすやすと休憩に横たわると、夢の世界へ再度突入。しかし、いつもと違う事にその日はすぐに気づいたのです。窓が開いて網戸の状態になってる!?

なんということだ…これはもしかして……

と思っていると案の定やつが来たのです。今度は何をしてくるのか伺っていると、堂々と網戸を開けて入って来ようとしたのです。さすがにプチパニック!と同時に怒りがこみ上げてきた私は、どうにかぎゃふんと言わせてやろうと思い、知恵から搾り取った最善の一手は

 

「驚かせる」

 

ことでした!!!

 

ここであったが100年目!文字通りぎゃふんと言わせてやる。やつが私の横を通り抜けて台所に向かおうとしたその時!私は即座に起き上がり大声で「うわぁぁ!!」と言ってやったのです!奴が少しのけぞり、私がまばたきをしたその瞬間、奴はみすみす私の前から消えたのです。

 

何が起きた…

もしかしたら私の咆哮には人を飛ばす力が!?

うひょ〜と超能力の獲得に気を踊らせていると、周りの景色がやたらリアルに見えたのです。さっきよりも明確に。その刹那、私は気づいたのです。

 

(ここは現実じゃないか…)

 

私は神奈川のとあるアパートで夜の9時ごろ、1人でに「うわぁぁ」と飛び起きながら目覚めたのである。気づいた途端に、とんでもなく恥ずかしくなりしばらく立ち尽くしていました。

 

今回の事で最もためになったことは、夢の中で人を驚かしてはならないということです。

頭がおかしくなったと思われたくないならネ☆

本を読み、日記をつける

なんだか僕の友達がブログの更新をしているようなので完全に影響で、そろそろ書こうとか思っちゃったりして。

 

「なんかすることあるんじゃないの?」って自問自答するもこれといったことをしてこなかったような日々。それはサッカーが僕の生活の中心にあったからなのだけれど、その生活から離れた現在、より強くその言葉が頭の中でリフレインしてた。はじめの年は、何をどうしていいのかよくわからなかったからついてこうと必死だったけど、今になってみるとそれなりにコントロールでき、特にやりたいことをやる・できるときなんだと思った。だから、なにをしようかと考えていた長期休みのとき兄がおすすめする漫画をとりあえずひたすら読んでた。充実した日々だった。文化を享受し、微量ながらも自分の世界を広げる。兄から借りた漫画をすべて読み終えたときその事の重要さに改めて気付いたのかもしれない。本をちゃんと読むことにした。

 

これまで私は本を読むことはあったものの、読むスピードは亀のよう、途中まで読んで最後まで読みきらないことまであった。思えばちゃんと読んだことがあるのは「フリーター、家を買う。」くらいだ。あれ読むのに結構かかった記憶が…あ、アラジンも読んだな。読書感想文ので。頑張った。アラジンなかなか強かった。

 

本を読もうというのも、私の家族の3/5はよく本を読む人たちだからその影響が大きく今頃出たんだと思う。私は兄におすすめの本を借り、また小説だけでなく実用書?とかも読んでいる。(本に詳しくないのでなんか変なこと書いてたらすんまへん。)とりあえず、本を読むことは自分の世界がいろんな意味で広がると思えた気がしてる。まだまだ序の口だからこのレベルだけど、今後もっと大きなメリットがあると期待できる。続けていこう。

 

それだけでなくさぼりがちな日記をしっかりつけることとした。長期休みで漫画ばっかり読んでいると、日記に書くことがあまりなく、次第に書かなくなるなんてことがよくあった。数行でも良い。その軽い気持ちで書くことが大切なんだ。今現在、私が書いてきた日記は700日を超えている。まあ、書いてなくて白紙のとこもあるのだけれど笑

でも、日記を書き始めて700日経ったあのときは今まで味わったことがない感覚だったのは覚えている。

また携帯に書いていた日記は、ノートに書き写して残すことに。今の携帯は3台目なのだが、これまでの2機は操作が不可能になるほどおかしくなってしまっているので、見返すことができるように紙媒体にすることを決めた。この作業がなかなか楽しかったりする。あ、あの頃はこんなことしてたのか。なんて思いながら…


ふと追憶に思いを馳せて、そしてこれからのことを考えるとなんだか生きてる気がして不思議な気分になるのです…

 

とりあえずこれからも文化を享受していきたい。それはきっと人生を豊かにしてくれるはずだから。映画ももっと見て、音楽ももっと聞いて…

 

そういえば友達から借りてた本を読むと言っておきながらまだ読んでないや。読まねば。

その友人がなんだか元気がなさそうで少し心配だ。この前貸してた金を返しておくれよと言ったら、待ってくれと言われた。なんだか少しだけイライラしてたんだけど、最近になって状態が良くないのかな?と思うと少し悪いことをしたようで肩身が狭い。

でも、そのお金は絶対に返してもらうよ。そのことがなくなったら会う口実が1つなくなっちゃうからね。いつまでも待とう。

 

いつか余裕ができたら旅行にでも行こうか。そうだな、場所はタンザニアとイタリアとチリだね!

世界を彩るピアノ曲たち

僕は音楽を聞いてるとき、好きな曲なんだけど何かと気分が乗ってこないときがあります。そういうときは少ししか知らないながらも、ピアノ曲を聞くようにしてます。人間の声がないからこそ、その曲の流れが良く感じることができ、なんの抵抗もなくその曲に浸ることができるのです。

 

今回紹介するのは、ゲームから4曲、ドラマから1曲、クラシックから1曲です。しかも全体的にしんみりとしたサウンドです。ピアノで激しいのなんてあんま知らない…

そもそも僕はしんみりとした曲が大好きです。iPodのプレイリストに「しんみり」というのがあるくらいで笑

しんみりという表現は、英語ではないというのをテレビで見たことがあり「Shinmiri」になるそうです。日本を感じる「しんみり」を大切にしていきたい、いや大切にしていきましょう!

 

前置きはこのくらいにしてこのしんみり大使が送るしんみりの世界を堪能していただけたら幸いですm(_ _)m

 

1曲目はゲーム「キングダムハーツ」から

「Dearly Beloved」   です


Takehiko Yamada - Dearly Beloved - Piano Collections Kingdom Hearts - YouTube

この曲はゲームにおいて、タイトル画面で流れる曲でピアノ曲からさまざまなアレンジが展開されるなどして、キングダムハーツを象徴する曲であると言えるでしょう。特にこのアルバムでもう一曲ある「Concert Paraphrase on "Dearly Beloved"」は更に壮大でなおかつ、カッコイイかなと思いますのでそちらもおすすめします。→https://youtu.be/J-pykGrz2-U

 

次に紹介するのは同じくキングダムハーツから  

「Roxas」    です


Hiroyuki Nakayama - Roxas - Piano Collections Kingdom Hearts - YouTube

言っておくことが1つありました。ゲームで紹介するのは全てキングダムハーツの曲です笑

ゲーム自体ではピアノ曲ではないのも多いですが、これは作曲者の下村陽子さんが直々にピアノ演奏しているアルバムから紹介してます。

この曲は、私の一番好きな「ロクサス」というキャラクターのテーマです。"悲しみ、哀愁"という言葉がイメージとしてはぴったりでしょうか。かなりのしんみり曲です。さらに壮大なものもありリンクを載せておきます。→https://youtu.be/RpIzyuQqfZQ

 

次は「Roxas」の"悲しみ"とは少しテイストの違うしんみり、ダークな曲の

「The 13th  Side」   です


Takehiko Yamada - The 13th Side - Piano Collections Kingdom Hearts - YouTube

この曲はキングダムハーツでも敵集団のテーマですが、とても高いレベルでその敵集団が表現されていると感じました。穏やかな曲調から、手に汗握るような展開に運ばれるあたりは"ボス"の印象が特に大きく出ているかなと思います。

 

少ししんみりしすぎたかと心配なので1曲だけ明るい曲をいれます。

「Working Together」   です

 
Miwa Sato - Finale : Working Together - Allegro vivace - Piano Collections Kingdom Hearts - YouTube

この曲はゲーム内でも、ミッションの時等にかかる曲で明るく跳ねるような曲調が楽しさを倍増させてくれます。ピョンピョンです。

 

気を取り直してしんみりしたいと思います。

ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」から1曲。

「朔と亜紀」   です


02. 朔と亜紀 - YouTube

当時ドラマを見た人、あとでレンタルで見た人もいるかと思いますが、この作品が好きな人ならばこの曲がかかっただけで涙腺に高確率でダメージが行くはずです。ほぼピアノ曲ではないと言われれば弱いですが、ぜひ聞いてください。これ以上の言葉は不要です。

 

最後はクラシックから1曲。たまに聞くんですこういうのも。いいんですよ。すごく。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」第2楽章   です


辻井伸行 Nobuyuki Tsujii ベートーヴェン 「悲愴」第2楽章 Beethoven Pathetique Sonata 2nd mov - YouTube

聞いたことある!と言う人もいるかもしれません。とても有名な曲なので。まさに悲愴。でも、悲しみの中に少しだけ明るいモノがあるようなないような気もするんです。この曲を午後や夕暮れ時に聞くのがたまらなく好きで、その時間だけは何もかもを忘れ、ただこの曲に身を委ねるのです。第1楽章、第3楽章ともども素晴らしいと思いますが、やはり第2楽章は格別かと。

 

いかがでしたでしょうか。世間一般で言う明るい曲を「情熱」や「楽しさ」とすると、こういったしんみりした曲は「美しさ」や「繊細」といった事を私は想像します。美しいものは好きではありませんか?もし共感していただけると、非常に嬉しいです。「そんなのはわからん」と言う人も、ご紹介の曲をただ楽しんでいただければと思います。